こんにちは。ペペ子(@pepeko_segirl)です。
都内の SIer に勤めるOLです。
先日、ツイッターでこんなツイートを拝見しました。
日本の高学歴親は子供を有名大学にぶちこむのばかり熱心で、どうやって稼ぐか、どうやったら資産家になれるかという視点が全然ないが、なんでそんなに視野が狭いというかバカなんかね? なんで雇われ人になりたがるのかな。大企業も役所も所詮奴隷だぞ
— めいろま (@May_Roma) January 23, 2020
これを見て、「うちの親は全然違ったなー」と思いました。
私の父親は、東京大学出身です。
ですが、これまで一度も
「有名大学に入れ」
「勉強しろ」
といった類の言葉を父親からかけられたことはありませんでした。
そんな私の学歴はこちら。
- 小中学校→近所の公立
- 高校→県立の進学校
- 大学→早稲田大学(現役)
はい、東大卒ではないです(笑)
学力が足りなさ過ぎて、受けてすらいないです。
それでも、高校・大学ともに第一志望の学校に合格できたので、自分的には受験成功でした。
塾に通ったことはありません。通信教育や参考書を使って、独学で勉強してきました。特に図書館で勉強するのが好きだったなあ。
教育費という点において、我ながらかなりコスパのいい子どもだったと思います。
なぜ「勉強しろ」と言われずに自ら勉強し続けることができたのか、自分なりに分析してみました。
子育て中の方やこれから子育てをする予定の方にとって、参考になれば幸いです。
私の受験期と父親
父親は、貧乏家庭から東大に入りました。
現役では受からず、塾代を自分で払って1浪で合格したそうです。なかなかの苦労人だと思います。
「苦労人の東大卒」と聞くと、「子どもにも同じことを求めるのでは」と想像する人は多いと思います。
が、私の父親はまったくそんなことはありませんでした。
父から「勉強しろ」と言われたことはないし、塾にも入れられなかったし、「この学校に入りなさい」と受験のレールを敷かれることもなかったです。
「この学校に入ってくれたら嬉しいな~」程度の意思表示をされることはありましたが(笑)
高校受験時はどうやら筑波大附属の高校に入ってほしかったらしく、「受けるだけでいいから、事前対策とかしなくていいから」と、とりあえず受けさせられましたね(笑)
対策ゼロで受かるほどの学力はなかったので、当然落ちました。
大学は国立に入ってほしかったらしく、「早稲田に行きたい」と言ったら「わせだあ?」と怪訝そうな顔をされました。
ですが、実際に早稲田の第一志望の学部に通うことが決まったときは、「おめでとう」と合格を祝ってくれました。
そんな、父親です。
なぜ私は自ら勉強ができたのか
大きな理由はふたつあると思います。
①勉強を強制されなかった
②自己肯定感が高かった
それぞれ説明します。
①勉強を強制されなかった
他人に強制された目標を目指すのって、苦しいですよね。
目的意識がないままゴールを目指しても、途中で「なんのために頑張っているんだっけ?」と我に返ってしまうのではないかと思います。
一方、自分で設定した目標であれば、そこを目指して努力するのは苦じゃないんです。
私は中学時代、「全教科合計で学年1位」を目指していました。
誰に言われたわけでもなく、「1位をとってみたい!」という好奇心があったんですよね。完全にゲーム感覚でした。
毎回のテストで1位を目指した勉強をしていたので、順位はどんどん上がっていきました。それもまた楽しかったです。
しかし、どうしても学年2位の壁を壊せませんでした。
不動の1位に君臨していたのは、イケメンで運動もできるハイスペック男子。悔しかったですね。
でも万年2位だったおかげで勉強に燃えることができたので、今となってはそのハイスぺ男子に感謝しています。彼は旧帝大を卒業したそうです。
高校に進学すると、そこは勉強好きの猛者が集まる進学校。
「全教科合計で学年1位は現実的じゃないな」と、早々に諦めました(笑)
その代わりに「早稲田」という目標を見つけ、中学時代以上に机にかじりつくことができました。
早稲田の合格発表日に震えながら合格発表用の電話番号を押し、スピーカーから「おめでとうございます。合格です。」と流れてきたときの感覚は今でも鮮明に覚えています。
「嬉しい」「信じられない」「受験から解放される」という、喜びと驚きがごちゃまぜになった気持ちがぶわっとこみあげてきました。
②自己肯定感が高かった
小さいころから何かと親が褒めてくれたので、自己肯定感高めな子どもでした。
だから自分で設定した目標に対して、「私はできる」っていう自信があったんですね。
①とくらべて2行で説明が終わってしまいますが、これ以上話すことはありません(笑)
子どもの自己肯定感を高めましょう。
あとがき
これを書いていて思い出したのですが、私の幼稚園の頃の夢は「ケーキ屋さん」でした。
幼稚園児らしくてかわいいですね。
就活後、父親に「大手SIerに就職する」と話したら、「ケーキ屋さんはどうしたの?」と言われました(笑)
大企業にも特に興味がない父親でした。
それでは。
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